明石の歴史と建造物 AKASHI HISTORY


明石の成り立ちや古くからの歴史を紹介致します


明石地図日本標準時、東経135度に位置し「子午線」の通る都市。また、世界一長い吊橋「明石海峡大橋」の全景が望める海峡交流都市です。気候風土も瀬戸内の温暖な環境に恵まれ、明石ダコ、明石鯛、明石のり、あなごと海の幸が豊富です。
古代明石原人から、万葉の神秘、源氏物語の舞台にと古い歴史をもつ明石市内にはいたる所に由緒ある史跡や名勝がいっぱい。観光の見どころ満載です。
約16kmに及ぶ風光明媚な海岸線はマリンスポーツや観光の拠点都市としての機能を発揮、潮風と太陽、笑顔いっぱいのまち、豊かな自然と歴史のロマンただよう街です。


地名の由来 「 赤石伝説 」


昔々、神出雄岡山(現在の神戸市西区神出町)に仲の良い狩人の夫婦が住んでいました。ところがある日、夫は、小豆島に住む美女に恋をしてしまいました。 それからというもの、夫は毎日毎日鹿の背に乗って海を渡り、美女の元に通い続けていました。 妻はこうした夫の姿を見て、悲しみに明け暮れていましたが、ある夜、夫が死ぬ不吉な夢を見ます。 あくる日も夫が小豆島へ出かけようとしたので、妻は「災難に遭うかもしれませんから、今日は行かないでください」と必死に引き止めました。 しかし、夫はそんな妻を振り切って、いつものように鹿に乗り出かけてしまいました。 ちょうど、林崎の沖合いに差し掛かった頃、丘の上にいた狩人が海を渡る鹿を見つけ、矢を放ちました。 鹿に矢が命中し、夫も鹿と共に溺れて死んでしまいました。この死んだ鹿の血が赤い石となって海中に沈み、ここから「赤石」→「明石」の地名が起こったと伝えられています。


明石の歴史と建物



明石観光 光源氏を訪ねて


明石観光 光源氏を訪ねて古来より、明石は日本でも有数の風光明媚な場所として知られ、多くの作家達がこの明石の地を舞台に、作品を作ってきました。
古くには、平安時代に才女として知られた紫式部による源氏物語にも、明石の町が登場します。
大観町にある善楽寺は、源氏物語に登場する明石入道の浜辺の館があったところだと言われています。
境内には、「明石入道の碑」や「光源氏古跡明石の浦の浜の松」などの石碑があり、源氏物語が好きだった5代藩主松平忠国が建てたといわれています。

善楽寺(円珠院・戒光院・実相院の総称)
JR「明石」駅・山陽電鉄「明石」駅から
市バス南④「大観橋前」下車 徒歩10分
 


歴史を刻む中崎公会堂


中崎公会堂相生町にある中崎公会堂は、明石がまだ郡と呼ばれていた明治44年7月27日に開堂しました。洋風の建築物が盛んだった時代にこのような和風の建物は大変めずらしいとされています。
千鳥破風の四方屋根や、鬼の顔をかたどった鬼瓦が特徴的です。明治44年のこけら落としには、夏目漱石が招かれました。
今でも、著名人を招いて毎秋恒例の寄席が行われます。

中崎公会堂
JR「明石」駅・山陽電鉄「明石」駅下車 徒歩20分


明石城の歴史を探る


明石城明石で最初のお城は室町時代中期当時の豪族であった、明石氏がその拠点として造った、現在の神戸市西区にある枝吉(しきつ)城だといわれています。
その後、豊臣秀吉が天下を統一、秀吉はキリシタン大名として有名な高山右近を入城させ、まもなく明石市船上(ふなげ)に城を移しました。さらに江戸時代になると、一国一城令に伴い、現在の地に明石城が築城されました。
築城から400年たった今、地震などで修復され、春には桜など緑の多くの木々に囲まれ、歴史のロマンを伝えています。

明石公園
JR「明石」駅・山陽電鉄「明石」駅下車 北へ徒歩3分


リフォーム明石|歴史と建造物


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